嫌なことがあったり、うまくいかなかったりすると、つい愚痴や悪口が出てしまいます。
たまに言う分にはストレス発散になりますが、常に誰かの悪口を言っている人もいますよね。
ネガティブな言動は、意識的であれ無意識的であれ、相手の気力や活力を削り取ってしまいます。
今回は、なぜ人は悪口を言ってしまうのか、常に悪口を言う人の心理状況、そして悪口の輪に巻き込まれたときや自分が悪口を言われたときの対処法をご紹介します。
自分に思い当たる節はないか、この機会に振り返ってみてくださいね。
なぜ人は悪口を言うのか
悪口は言う方も聞く方も気分が良くありませんが、なぜ人は悪口を言ってしまうのでしょうか。
その理由を心理学の観点から解明しましょう。
人間は、自分の信念や行動と矛盾する事実を突きつけられると不快な感情を味わいます。
この不快感を解消するために、自分の信念や行動か新たに得た事実のどちらかを否定しようとする思考が働きます。
これを「認知的不協和」といいます。
自分の信念を変えることが難しいと判断した場合、人は「新しく得た事実」を否定しようとします。
よく例に挙げられるのが「タバコ」です。
「タバコは体に悪い」という事実を突きつけられても、依存性からなかなかやめられません。
こういった場合、人は「タバコを吸っていても長寿の人がいる」「肺がんより交通事故で死亡する確率の方が高い」といった反論を持ち、自分を正当化しようとします。
これは一例であり、禁煙喫煙の是非を結論づけるものではありませんが、当人にとっては「正論」として成立してしまう可能性があります。
この「認知的不協和」は、当人の信念の強さに比例します。
自分の言動にプライドを持ち、信念に基づいて生きてきた人ほど、否定されたときには強烈な不快感を味わいます。
例えば、「仕事一辺倒で家庭を顧みなかった人が、家庭第一で仕事を調整する人に不快感を覚える」や「宗教の熱心な信者が無神論や否定論を聞くとついカッとなる」といった事例も認知的不協和が引き起こす反応です。
過去は変えられないため、「新しく得た事実」を否定しないとプライドが保てないのです。
悪口に同調する人は「同調することで自分の認知的不協和を軽減したい」といった心理状態にあります。
同時に、その場に加わることで「自分だけではない」という安心感を得ることもできます。
これもまた人間の自己防衛心のなせる業と言えるでしょう。
かの教育者に学ぶ、『悪態をつく9つの心理』
悪口のメカニズムを理解したところで、次に『どんな目的で』悪口を言ってしまうのかを学びましょう。
日本の教育学者、新渡戸稲造(五千円札の、と聞いた方がピンとくる方も多いでしょう)の名著『運命を拓きゆく者へ』(実業之日本社/刊)より紹介します。
『冗談として』悪気がない、という無邪気な悪意
当人に悪気がなくても、軽口が相手には嫌味に聞こえたり、誤解を招くことがあります。
「冗談のつもり」で許される道理はありません。
自覚がないまま加害者になる前に、言葉に出す前に一瞬でも良いか考える癖をつけましょう。
『性格の違いから』わからないものに対する警戒心
すべての人と分かり合えるわけではありません。
理解し合えない、性格が違いすぎてついていけないという人は存在します。
そのこと自体は悪くありませんが、最初から攻撃や排除の対象とするのは問題です。
違いを持つ人とうまく協力し合うことで互いの視野や思考の幅が広がるメリットを考えてみましょう。
『主義の違いから』人の数だけ主義主張は存在する
主義の違いで悪口が生まれることもあります。
性格が違っても主義が同じなら手を組むことも可能ですが、性格が似ていても主義が違うとなると理解しあうのは難しいです。
政治や宗教の世界が良い例です。
『社会をよくするために』……大儀名分?
宗教家や教育者が使う手段として、「社会をよくするため」「正当性を示すため」に相手を批判することがあります。
真実を暴く名目で話している姿をよく見ますが、それが本当に真実か、相手を貶めるためかを冷静に判断する必要があります。
『負け犬の遠吠えとして』自分を守るための防衛本能
相手が自分より上位だと認めざるを得ない場合や、自分の名誉を傷つける危険がある場合、人間は相手を遠ざけ身を守ろうとする心理が働きます。
これは弱い犬が強い犬に吠えるのと同じ理屈です。
『他と比較するゆえに』コンプレックスの裏返し
他人の性格などが気になる理由で悪口が出る場合、その深層心理には自分と他者を比較して優越感に浸りたい、または自分のコンプレックスを相手に投影しているケースが多いです。
こういった悪口を言う人は『自分が隠している部分を暴かれたくない』もしくは『自己を護りたい』『自分は完璧で他人は劣っている』という気持ちが根底にあり、他者から敬遠されがちです。
『利益を得るために』他人の不幸は蜜の味
自身の利益を追求するために、悪口や噂話を広める場合があります。
一部の新聞や雑誌が部数を増やすために他人の悪口めいた噂話を掲載し、それに飛びつく読者がいるという現実が、この現象を物語っています。
『人を倒すための悪口』ついつい荒探ししてしまう、人間の性
他人が失敗し貶められるのを見て優越感を得るための悪口も、金銭的利益を追求する悪口と同じく性質の悪いものです。
評判の良い人や社会的に認められている人たちに対して、つい欠点を探してケチをつけたがるのは、多かれ少なかれ誰にでもある傾向です。
『自分が取って変わるために』他者を蹴落とすための手段
単に他人を貶めるだけでなく、その位置に取って代わるための手段としての悪口も存在します。
これは政治の世界や恋愛関係などで見られるもので、非常に性質の悪い行為です。
いかがでしょうか。
「悪口」という言葉の背後には、これほど多くの心理的動きや計算が絡んでいるのです。思い当たることがありましたか?
悪口への具体的対処法、教えます
もし悪口を言っている現場に居合わせてしまったら、あるいは自分が悪口を言われてしまったら、どう対処すれば良いのでしょうか。
ここではその具体的な対処法をご紹介します。
『悪口の場に居合わせることになったら』
大人数の場では、積極的に口を挟むのは避けましょう。
しかし、あからさまにその場を離れると、今度は自分が対象にされかねません。
話を聞きつつ、相槌を求められたら曖昧な言葉でごまかすのが良いでしょう。
「そうなんだ、ふーん」くらいで十分です。
下手に「そうですね」と同意したり、突っ込んだ質問をすると、当事者扱いされてしまいます。
少人数の場なら、話題をうまく変えるのも一つの手です。
ただし、無理に話題を変えようとすると不自然さが残るので気をつけてください。
質問を受けたり同意を求められたら、「よくわからない」で乗り切るのも有効です。
『悪口を言われてしまったら』
凹むのは当然です。
気にするなと言われても無理ですよね。
人目のないところで思いっきりストレスを発散してください。
しかし、言われっぱなしでは悔しいもの。
災い転じて福となす。
せっかくなら、言われた悪口を活かしましょう。
言われた悪口を冷静に、客観的に見てみましょう。
それは自分の弱点や欠点を指摘していませんか?
もし思い当たるなら、この機会に振り返り、直してしまえばよいのです。
思い当たる節がなくても「こんな風に誤解されることもあるんだな」と他人の目を知っておくことも重要です。
誤解をこれ以上招かぬよう、普段の言動に気をつける機会をもらったと捉え、あとはスルーして構いません。
悪口を言うのが好きな人間は、それだけ心が貧しい、残念で器の小さい人間です。
しかし、『言葉の力』は良くも悪くも人の心に大きく影響します。
辛くなったら、信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。
信頼できる人がいないと思ったら、独り言でも日記でも構いません。
吐き出しましょう。
抱え込まなくて良いのです。
ただ、人に話を聞いてもらったら最後に「ありがとう」の言葉を付け加えてくださいね。
ネガティブな言葉は聞いた人の心も重くしますが、感謝の一言で浄化されるものです。
迷惑をかけるからと抱え込み、一人で苦しむよりも、誰かに聞いてもらい感謝を伝える。
その代わりと言ってはなんですが、あなたも何かあったら同じように、話を聞いてあげてくださいね。
まとめ
ここまで悪口についていろいろな角度から見てきましたが、気持ちを吐き出すこと自体は決して悪いことではありません。
たまの愚痴や悪口は誰にでもあるものです。
少しもやもやした気持ちを聞いてもらうだけで、自分の感情と向き合い、浄化し、また頑張ろうという気になれるものです。
しかし、言葉は聴覚から入り、脳に影響を与えます。
悪口ばかり聞いていれば、潜在意識に刷り込まれ、徐々に心身に反映されるものです。
そうならないためにも、しっかりと自分を保ち、防衛する術を身につけましょう。
最後に、悪口を言われているあなたへ。
否定的な言葉を投げかけられるのは本当に辛いことです。
身に覚えがないならなおさらです。
スルーしろと言われても、まったく気にせず過ごせる人は少ないでしょう。
苦しいときは、叫んでも泣いても良いのです。
感情を外に吐き出してください。
誰にも心のうちを明かせない人もいるでしょう。
でも、あなたの言葉を待っている人は必ずいます。
どうか、無理しすぎないで。
あまり頑張りすぎないでくださいね。
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